35歳、無職になる

この春、無職になった。

2021年4月、桜咲く中新入生や新入社員が新しい門出を迎える中、気分はどん底だった。そう、無職になったのである。複雑な事情によって仕事を辞めることになった。辞めたくて辞めたわけでもないし、辞めないといけなかったわけでもない。しかし辞めることになってしまった。

改めて思うと「35歳、無職」ってほんま強烈なほどインパクトのあるキーワード。40歳超えたらなんか開き直れるけど35歳ってのがギリギリ感が出ていて悲壮感半端ない。

この一年を振り返る

そんな理由でこの数ヶ月「働くことの意味」について考え直すことが多かった。特に一年前からコロナ禍によって社会情勢がガラリと代わり、やれテレワークだ、ソーシャルディスタンスだ、DXだ、などと目まぐるしく世の中の動向が変わっていくことを実感した。ほとんど家に篭りZOOMや電話で客先対応して、「今まで満員電車の中通勤して遅くまで会社にいたのはなんだったんだ?」という常識の崩壊も人並みに直面した。

汗水たらして働いていればそれで良かった時代ではなくなったのは間違いないが、属人型からジョブ型雇用に切り替わって効率やら生産性、独創性が求められる時代に、自分のようないわゆる「なんのスキルもない人間」が生き残っていく術があるのかどうか、本当に悩ましいし出口の見えないトンネルを彷徨う気分だった。

働くことについて

転職活動をしていると、35年間生きてきて働くことについて正面からしっかり向き合って考えたことなかったなと改めて思った。ペラペラの人生。毎回ギリギリで逃げていたツケが、回ってきた。もう少し真剣に考えて生きれば良かったなと思うが、そうも言ってられない。

スキルの棚卸しもそうだが、働く意味、志望動機、自分がやりたいこと、など転職活動の面接で必ず聞かれる「何故?どうして?どうやって?」という「本質的な問い」に対して、自分も含めて納得できる答えを絞り出すのがかなりしんどかった。

幸い嫁が人材系の仕事に就いていたので、アドバイスと言うなの激詰めを喰らいながらなんとか考えをまとめていくことができた。最初は皆こんなこと考えながら仕事してるんか…偉いなぁとか思っていたが、それすらできてない自分のヤバさに愕然とした。

一方で世の人々は自分でコンテンツを生み出しそれで食って生きていけるようになり、株や仮想通貨を買えば自分の月収以上の利益を生み出してくれる(こともある)。画面越しのコンテンツをひたすら消費して、手元に無い含み益で喜ぶという世界もある。そういった現実も知っている分、自分の中でも折り合いをつけて「組織で働く」というモチベーションを保っていくのは大変だが、これでちゃんと転職が決まれば少しは成長できるかもしれないと思い、今が踏ん張らないと終わりだと思っている。

昔のように5年後、10年後の未来が簡単に予測できる世界ではなく、1年後すらもどうなっているかわからない世界なので、将来的には組織に頼らず自分で生きていける術を身に着けたいとは思っているが、それは今では無い。まだしばらくは「ちゃんと働く」ということに向き合いたいと思う。

このブログについて

そういえばこのブログも1回目退職したとき、友人に「ブログ書けよ」とアドバイスされ書き始めた。初めはTumblrで書いていたが、その後さくらインターネットでサーバーを借りてWordPressに移行して、小銭でも稼ぎたいなぁと思ってアドセンス承認とって、記事を書いていったが、社会の役に立たないクソみたいな記事ばっかりだった。

この転職期間中は今までと比べると時間もあるので、色々と見直しをかけたいと思う。インターネットアーカイブのゴミになっている記事の大半を削除し、絞り込んでいくことにした。SEOも勉強してデザインも変えて、自分の趣味を織り交ぜつつも少しはアクセスが増え金を生むものにしたい。

さて、人生の折返しポイントなので頑張っていこう。

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